曽我物語 (Tale of Soga)

曽我物語(そがものがたり)は、「曾我兄弟の仇討ち」を題材にした軍記物語。
作者不詳で、多くの異本があるが、中でも真名本曽我物語が最も古く良く取り上げられる。
物語のあらすじについては「曾我兄弟の仇討ち」の項に詳しく記載されているので省略するが、この物語の成立には一人の女性が深く関わっている。

概要
史実と虚構
建久4年(1193年)5月28日 (旧暦)に富士の巻狩りの際に起きたこの事件について公式に書かれた文書は「吾妻鏡」以外にない。
また「吾妻鏡」に記載されたのも事件後100年近く経ってからといわれているのでリアルタイムな記録ではなく、真名本曽我物語の記述に似通った所があるとされている。
しかし「吾妻鏡」に記載されていることから、全くの作り話でもない。
この項の趣旨とは方向が違うが、鎌倉幕府は将軍の膝元で起きた衝撃的なこの事件を意図的に隠そうとした痕跡のあることが分かり、現在様々な憶測を呼んでいる。

曽我物語の成立
隠されていた史実を物語として世に広めたのは、物語にも登場する虎御前こと虎女だという。
物語は彼女から口承に口承を重ねて徐々に広まり、南北朝時代_(日本)から室町時代・戦国時代_(日本)を通じて語り継がれた。
曽我兄弟や虎女に関する史跡や伝承は、北は福島県から南は鹿児島県まで広い範囲に広がるが、そこからはこの物語が語り継ぎで広まっていった様子を検証することができる。
口承は、主に巫女や瞽女などの女語りで行われたという。
やがて能や文楽として上演されるようになり、これが江戸時代になると歌舞伎化されて「曾我もの」の演目として定着した。
特に延宝四年正月(1676年2月)に市川團十郎 (初代)が『寿曾我対面』を初演して、ここで演じた曽我五郎が大当りした。
その後は、この演目が正月興行には欠かせない出し物となった。

主な異本
真名本曽我物語
重須本曽我物語
大山寺本曽我物語
曽我記
など

[English Translation]