松浦宮物語 (Matsura no miya Monogatari)

松浦宮物語(まつらのみやものがたり)は、鎌倉時代初期に成立した物語、小説。

成立時期は、『無名草子』が「むげに此頃出で来るもの」として鎌倉時代の物語を評して本作品に及ぶことなどから、12世紀後半であろう。

作者

『無名草子』には「又定家少将の作りたるとてあまた侍るめるはましてただけしきばかりにてむげにまことなきものに侍るなる」という記述がある。
国文学者らは悪しき実証主義に陥って明言を避けているが、文学者らは藤原定家がその作者であるということは明々白々であるとする。

あらすじ

藤原の宮の時、正三位大納言兼中衛大将橘冬明と明日香の皇女との間に生まれた氏忠は、容貌才覚共にすぐれ、16歳で、式部少輔右少弁中務少将を兼任、従五位上にあった。
彼は勉強一筋、色っぽい噂もなかったが、心中密かに后腹の姫君かんなびの女王を恋い慕っていた。
或る年の菊の宴の夜、彼女と肉体関係を持った。
しかし再会を願ううちに彼女は入内、彼は遣唐副使に任命され、渡唐することになった。
出国の時、彼女は彼に別れの歌を送り、彼の母は松浦の山に宮を造り、彼の帰国まで唐の空を眺め暮らすと言った。

唐に着いた彼は、唐の帝の寵愛を得たが、ホームシックは癒されなかった。
或る名月の夜、秋草の中をさまよううちに、八十歳ほどの老人の奏でる琴の名演奏が高楼に響くのが聞こえた。
彼は老人に琴を教わり、帝の妹である華陽公主が「しやう山」で琴を演奏するので、それを習えと言われた。
「しやう山」に行くと、琴の秘曲を授かったが、華陽公主の美しさに彼の心は乱れ、十月三日禁中での再会を約束して分かれた。
折しも、帝は病臥し、弁を呼び、私の死後国は乱れる、おまえは太子に従ってくれ、と言った。
さて約束の日、彼は五鳳楼の下でにおやかな彼女と肉体関係を結んだ。
彼女の形見は水晶の玉、日本に帰っても私を忘れないなら初瀬寺に玉を持って三七日の法を行え、再会できる、と予言し、琴を天外に飛び去らせ、自分も露のように死んだ。
やがて帝も死に、予言は的中、国は乱れ、弟の燕王が太子の幼弱をいいことに謀反した。
彼は今は無き帝との約束通り、新帝である太子、母后を守り逃げ、蜀山に向かった。
しかし道は遠く、燕王に攻め寄せられた。
彼はついに逆襲を決意、敵の将である宇文会を討ち取った。
おりよく憲徳の率いる援軍三千と合流、都に燕王を破ることが出来た。
再び世は平和を取り戻したが、彼の帰国の念はやまなかった。
年を越し、春の夜、彼は母后と会い、二人は互いに惹かれ合った。
翌日夕方、梅の香り漂う里で簫を吹く不思議な女性と肉体関係を結んだ。
そのご何回もこの女性に逢うが身元不明である。
帰国の日も近づいた或る夜、母后は、あの女性は実は自分の化身だったと言い、宇文会は阿修羅、私は第二天の天衆、あなたは天童、二人は阿修羅懲戒のため天から下されたのだ、人世に生まれたばっかりにみだりごころも起こったのだと秘密を明かし、形見に鏡を渡した。

弁は日本に帰国、参議右大弁中衛中将になった。
初瀬におもむき、三七日の法を行うと、果たして山に琴の音が聞こえ、華陽公主と再会できた。
二人で琴を合わせていると、幼なじみのかんなびの女王も妬むほどであった。
母后からの鏡を見ると、今までの生活が見えた。
かんなびの女王に逢うと、唐のひとに似ていた。

評価
もしこれが藤原定家の真作であるならば、彼の二十代後半の若書きであり、3巻のその構成は緊密でなく、前後の連携も良いとは言えない。
すなわち、前半で少将の両親の心情を細やかに描きながら、後半では忘れられ、また、唐国内の戦乱描写も異常なまでに詳細であり、一説には、現存本は後人の加筆もあるという。

また、『宇津保物語』や『浜松中納言物語』との肖似性も指摘されている。

しかし全編に縹渺する浪漫的神仙的伝奇的情趣はおおうべくもなく、著者の筆力は高く評価されねばならないだろう。

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