枕詞 (Makurakotoba)

枕詞(まくらことば)とは、主として歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて組となり、語調を整えたり、ある種の情緒を添える言葉のことである。
『万葉集』から現代短歌に至るまで、長きに渡って用いられている。
ただし、「枕詞」という用語自体は平安時代には諺とほぼおなじ意味で使用されており(顕昭『古今集序注』)、現在の意味で使用されるのは一条兼良『古今憧蒙抄』、清原宣賢『日本書紀抄』など、中世以降の資料に見えるものが早いとされる。
古代にはこの名称は存在していない。
「次詞」(藤原清輔『袋草紙』)、「枕言」(今川了俊『落書露見』)、「冠辞」(賀茂真淵『冠辞考』)などともいわれる。
明治時代までのものを収集した福井久蔵の調査によれば、1100種近い枕詞が存在する。

概要

序詞とともに『万葉集』に多用された歌の技法であり、平安時代以降の場合は、歌の意味には直接的に関係しないことが多い。
また、一般に五音節で、上五(初句)に置かれることが多い。
和歌以外では『風土記』などに使用された例がある。
『風土記』ではこれらの例を「諺」といっており、枕詞がことわざと同じように、習慣化した、決まり文句という扱いをうけていたことが想像される。
語義については、高崎正秀が後に引く折口信夫の師説を援用して「魂の宿る詞章」と説明するが、既にふれたように、「枕詞」という用語自体が中世以降のものであることを考慮すれば、歌の一番初めに来るので、前書きの意味での「枕」に近いものと思われる。

「飛ぶ鳥〔トブトリ〕(の) アスカ」「春日〔ハルヒ〕(の) カスガ」のような例の場合、それぞれ飛鳥とかいて「あすか」、春日とかいて「かすが」と読むことの根拠となっている。
「アスカ」は「明日香」とも表記されるので、「飛鳥」は枕詞によって表記と訓の関係が定まったものである。
一方「あしひきの」や「ぬばたまの」のように、諸説はあるものの由来のわからない枕詞も多い。
これは『万葉集』の時代には既に固定化されていたもので、先例にならって使用され続けたものと考えられている。

枕詞の起源は明らかではないが、古くは序詞と一組のものと考えられていた。
たとえば契沖が「序(詞)ト云モ枕詞ノ長キヲ云ヘリ」(『万葉代匠記』)と説明しているのが代表的な例である。
折口信夫も序詞の短縮されたものが枕詞としている。
近年では中西進が、序詞と枕詞をいずれも「連合表現」と括って、あまり両者を区別するべきではないと説いている。

しかし、枕詞は『風土記』などにもあるように、歌の修辞が原型でないと思われる節があるのに対して、序詞というのはもっぱら歌の技法である。
この点に両者の差異があると考えられる。
枕詞の源流については、早くは真淵の『冠辞考』のように、和歌の調子をととのえるものと理解されていた。
しかし加納諸平は土地を褒めたたえる詞章が枕詞の原型であろうと(「枕詞考」)考察し、この考えが以降の研究に大きな影響を与えている。
とくに近代になって、折口が諺を由来に持ち、祝詞の言葉などと共通性を持つ、呪力を持った特別な言葉(らいふ・いんできす)であり、それが後世になって形骸化していき、だんだんと言語遊戯的なものとなっていったと説明しており、学会では広く支持されている()。
これは、『風土記』の例が地名にかかって賛美する例がおおいこと、また記紀歌謡などにみえる古い枕詞が土地や神名、あるいは人名など、固有名詞にかかる場合が多く、これらを讃美する表現とみられるためである。
これが万葉集になると、一般名詞や用言にかかる枕詞も沢山使われるようになり、範囲が増大する。

また柿本人麻呂の時代になると、「天離(あまざか)る 夷(ひな)」というような否定的な意味を持った枕詞(都から遠く離れた異郷の意)もあらわれ、「讃美表現」という元々の枠組みも失われていき、修飾する五音句というふうに移っていく。
このような変遷をたどった要因として、漢籍の知識の増加など、いくつもの要因が考えられるが、最大のものは、歌が「歌われるもの」から「書くもの」へと動いていったということが考えられている。
つまり、声の出して歌を詠み、一回的に消えていく時代から、歌を書記して推敲していく時代を迎えたことによって、より複雑で、多様な枕詞が生み出されたと考えるのである。
これは『万葉集』に書かれた歌を多く残している人麻呂によって新作・改訂された枕詞がきわめて多いということによっても、裏付けられることであろう。

基本的に枕詞の成立に関していえば、折口以来の説というのは折口説を部分修正を施していくものとなっている。
沖縄歌謡などに枕詞の源流を求める古橋信孝の研究などはその代表的なものであるといえる。
ただし、一方には『万葉集』における枕詞の実態としては連想や語呂合わせによるものもかなり多いこと、くわえて折口の説明は(文字資料の残らない時代を問題としているためやむを得ないのでもあるが)証拠を得難いことなどを問題として、そもそも枕詞とは言語遊戯(連想や語呂合わせ)であったとする理解もある。
なお、『古今和歌集』以降では意味よりも形式をととのえること、語の転換の面白さに主眼が置かれるようになり、基本的には新しい枕詞の創作も暫時、減少していく傾向にある。
また『万葉集』では「降る」にかかっていた枕詞「いそのかみ」を同音の「古りにし」にかけたり(在原業平)、やはり「天」「夜」「雨」にかかっていた「久方の」を「光」にかける(紀友則)のように、古い枕詞のかかりかたに工夫を加えるケースも多い。

『万葉集』以来の言語遊戯の例としては、「足引きの」→「足を引きながら登る」→「山」、「梓弓」→「弓の弦を張る」→「春」などの例を挙げることができる。
ただし、「あしひきの」は上代特殊仮名遣の問題から、もともとは「足を引く」の意味ではなく、これは人麻呂による新しい解釈と目される。
また、上代文学の例では「ちばの」「とぶとり」「そらみつ」のように三音節・四音節の枕詞も数例認められる。
このことから、枕詞が五音節化するのは三十一文字の定型化とかかわっていると考えられる。
定形化の成立が何時頃であるのかは詳らかではないが、「そらみつ」を「そらにみつ(空に満つ)」と改めたのも人麻呂であろうと思われ(『万葉集』巻1・29番歌)、枕詞の創造・再解釈に関しては、この歌人によるところが多いことは事実である。
『万葉集』は基本的には五音節の枕詞が使用されており、七世紀頃には固定化されていったものと思われる。

枕詞と被枕との関係を分類したものについては、いくつもの研究があるが、もっとも大別的な分類をおこなった境田四郎の説(によって示せば、以下のようになる。
(1)意味関係でかかるもの
(2)音声関係でかかるもの
さらには(1)を「朝露の 消易き命」のような譬喩的関係(朝の露は消えやすい、その露のようにはかない命)のものと、「草枕 旅」のような形容的なもの(旅は草を枕にするものであったので)と、「野つ鳥 雉」のような説明的なもの(野の鳥である雉)に分類し、(2)を「まそがよ 蘇我の子ら」のような(そが-そが、という)同音反復の例と、「かき数ふ 二上山」というような、「数える」から数字の「二」にかかる掛詞の用法とに分類している。
きわめて大雑把に示せば、音でかかるものと意味でかかるものの2種類が枕詞には認められることになる。

また、古代朝鮮語および漢字に起源を求める論者も少数ながら存在した。
特に、藤村由加によると、枕詞のほとんどは「枕詞」と「被枕詞」がほぼ同義になるという。
たとえば「足引き」は「山」という意味である。
「たらちね」は「母」という意味である。
「久方」は「高い空」という意味である。
このように「枕詞」と「被枕詞」がほぼ同義になる。
なぜそういう用法をなすかというと、(古代語レベルで)同じ意味の言葉を重ねることで、その言葉を強調するのが枕詞の目的であるとしている。

[English Translation]