源信明 (MINAMOTO no Saneakira)

源 信明(みなもと の さねあきら、延喜10年(910年) - 天禄元年(970年))は、平安時代中期の官人・歌人。
父は三十六歌仙の一人源公忠。
信明も父と同じく三十六歌仙の一人に選ばれている。

承平 (日本)7年(937年)正月蔵人に補任。
天慶2年(939年)若狭国国司任ぜられた。
その後信濃国国司・備後国国司・越後国国司・陸奥国国司などの受領(ずりょう=実際に現地に赴任した国司)を歴任し、安和元年(968年)従四位下に至った。
天禄元年、61歳で卒去。
宇多上皇が崩御したときの哀傷歌を始めとして、村上天皇の名所絵屏風歌、朱雀天皇皇女昌子内親王裳着の折の屏風歌など数多くの歌が残されている。
女流歌人である中務とはかなり親密な関係にあったらしい。
彼女との贈答歌は『信明集』にも一連の歌群として収録される。
他にも源公平(信明の叔父)の三女や閑院の大君とも交渉があったらしい。

「後撰和歌集」以下の勅撰和歌集に22首入集。
家集に「信明集」がある。

[English Translation]