源順 (MINAMOTO no Shitago)

源順(みなもとのしたごう、延喜11年(911年) - 永観元年(983年))は日本の平安時代初期の学者、歌人。
嵯峨源氏で、嵯峨天皇の曾孫源挙(みなもとのこぞる)の次男。
下総権守・和泉守等を歴任、極官は従五位下能登守。

若い頃から博学で有名で、20代で日本最初の分類体辞典『和名類聚抄』を編纂した。
天暦五年(951年)には学生の身ながら和歌所の寄人となり、梨壺の五人の一人として『万葉集』の訓点作業と『後撰和歌集』の撰集作業に参加した。
漢詩文に優れた才能を見せる一方で、天徳 (日本)四年(960年)の天徳内裏歌合にも出詠しており、様々な歌合で判者(審判)を務めるなど和歌にも才能を発揮した。

三十六歌仙の一人に数えられる。
大変な才人として知られており、源順の和歌を集めた私家集『源順集』には、数々の言葉遊びの技巧を凝らした和歌が収められている。
また『宇津保物語』、『落窪物語』の作者にも擬せられ、『竹取物語』の作者説の一人にも挙げられる。

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