猪苗代兼載 (INAWASHIRO Kensai)

猪苗代 兼載(いなわしろ けんさい、享徳元年(1452年) - 永正7年6月6日 (旧暦)(1510年7月11日))は、戦国時代 (日本)の連歌師。
初め興俊・宗春と称した。
別号は相園坊・耕閑軒。
法橋に任じられた。

陸奥国(後の岩代国)会津の猪苗代城主の家に生れたが、早い時期に出家した。
19歳のとき「河越千句」に参加し心敬の教えを受け、飯尾宗祇とも交流した。
連歌界での活躍は目覚しく、38歳で北野連歌会所奉行及び師匠となっている。
周防国山口の大内政弘の後援を得て、飯尾宗祇の「新撰菟玖波集」の編纂にも参加している。
50歳のとき関東に下り、各地を巡り、下総国古河で没した。
なお、和歌を二条派の尭恵に学んでいる。
飯尾宗祇とともに連歌の最盛期を作り出した。

句集に「園塵」、連歌論書に「心敬僧都庭訓」「梅薫抄」「兼載雑談」などがある。

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