藤原高光 (FUJIWARA no Takamitsu)

藤原高光(ふじわら の たかみつ、天慶2年(939年)? - 正暦5年(994年))は、平安時代中期の歌人。
藤原師輔の8男で、母は醍醐天皇の皇女雅子内親王。
三十六歌仙の一人。
従五位上・近衛府。
多武峰少将入道と号す。

右少将にまで昇ったものの、961年(応和元年)若くして比叡山延暦寺の延暦寺横川で出家。
翌年多武峰(とうのみね)に移り住んだ。
法名は如覚(にょかく)。
当時藤原氏の中心的人物であった師輔の子息が出家したことは世間に衝撃を与えた。

『拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に22首入集。
家集に『高光集』がある。
また出家から多武峰に草庵を営むまでを描いた作品に『多武峯少将物語』(作者不詳)がある。

『今鏡』によると、束帯着用の際持つことになっている笏の代わりに、高光は懐紙を笏の形に畳んだものを持っていたことがある、との逸話が語られている。

官歴

天暦9年(955年)
11月 従五位下
天暦10年(956年)
3月 中務侍従
天徳 (日本)2年(958年)
正月 昇殿
閏7月 衛門府
天徳4年(960年)
正月 右近衛少将
天徳5年(961年)
正月 従五位上・備後国国司

[English Translation]