ジェームス・カーティス・ヘボン (James Curtis Hepburn)

ジェームス・カーティス・ヘボン(James Curtis Hepburn,1815年3月13日 - 1911年6月11日)は、長老派系医療伝道宣教師であり、 ヘボン式ローマ字の創始者。
医師。
江戸時代に来日。
最近では「ヘボン」ではなく、「ヘプバーン」や「ヘップバーン」と表記する場合もある。
アカデミー賞女優キャサリン・ヘップバーンはヘボンの一族に当たる。

来歴
1832年 プリンストン大学とペンシルベニア大学を卒業。
以後、アメリカ合衆国にて医療活動に従事する。

1859年(安政6年) 北アメリカ長老教会の宣教医として、同じ志を持つ妻、クララ・メアリー・リート(Clara Mary Leete,1818-1906)と共に来日。
宗興寺(横浜市神奈川区)に神奈川施療所を設けて医療活動を開始。

1863年(文久3年)横浜市に男女共学のヘボン塾を開設。
その後、ヘボン塾は他のプロテスタント・ミッション系大学と連携。

1867年 日本最初の和英辞典『和英語林集成』を編纂し美国平文の名で出版。
日本語を転写する方法として英語式の転写法を採用。
辞典の普及に伴い、ヘボン式ローマ字の名で知られるようになった。

1871年 ヘボン塾の女子部が同僚の宣教師、メアリー・キダーにより洋学塾として独立。
洋学塾は、後に学校法人フェリス女学院の母体となる。

1872年 同僚の宣教師らと福音書の翻訳を開始。

1874年9月 横浜に横浜第一長老公会(現在の横浜指路教会)を建てる。

1880年頃 旧約聖書の和訳を完成。

1886年 和英語林集成第3版を出版。
ローマ字で日本語を綴って発音を示した。
利益は、後に明治学院へ寄付された。

1887年(明治20年)ヘボンは私財を投じて東京都港区 (東京都)白金 (東京都港区)の地に明治学院(現・明治学院大学・同高等学校)として統合し、明治学院初代総理に就任した。

1892年 聖書時点を編纂。
秋に妻の病気を理由に離日。

1893年 ニュージャージー州イーストオレンジに居を構える。

1911年 病没。

ヘボン塾から明治学院にかけての教育活動から、高橋是清、林董、島崎藤村など明治期日本を支えた多くの人材を輩出した。

[English Translation]