一条能成 (ICHIJO Yoshinari)

一条 能成(いちじょう よしなり、長寛2年(1163年) - 嘉禄4年(1238年))は平安時代末期から鎌倉時代前期の公家。
一条長成の嫡子。
母は常盤御前。
異父兄に阿野全成、義円、源義経がいる。
諱は良成とも。

生涯

母・常盤は、源義朝の愛妾として全成、義円、義経を生み、平清盛の愛妾として廊御方 (平家)を生んだ。
その後一条長成の妻となり、能成を儲けた。

仁安 (日本)2年(1167年)、5歳にして従五位下に叙爵する。
その後は中級貴族として過ごす。
異父兄の義経が武人として頭角を顕すとこれに接近する。
平家滅亡の後、義経が謀叛の疑いをかけられた後も行動をともにした。
文治元年(1185年)11月に義経が西海逃避行を試みた際には、自らも武装しこれに随行したとされる。
翌月、親義経派の廷臣の一人として高階泰経や平親宗らと共に源頼朝より弾劾され、侍従職を解官されている。

義経の死から19年後の承元年(1208年)12月、修理権大夫として政界に復帰。
建保6年(1218年)従三位に叙され、父・長成が果たせなかった公卿昇進をしている。
嘉禄元年(1225年)従三位非参議のとき出家した。
嘉禎4年(1238年)75歳で死去(『公卿補任』)。

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