三宅右近 (MIYAKE Ukon)

三宅右近(みやけ うこん,1941年(昭和16年)- は、和泉流の狂言師。

九世三宅藤九郎(人間国宝)の次男。
兄に和泉流十九世宗家和泉元秀。
伯父に六世野村万蔵(人間国宝)、従兄弟に野村萬(人間国宝)、野村万作、野村四郎(能役者)、野村万之介。

父に師事。
6歳で初舞台「梟山伏」。
22歳で「釣狐」、23歳で「花子」を披く。
1982年、重要無形文化財総合指定保持者認定。

兄、保之(和泉元秀)が和泉流宗家を継ぐ為、山脇家の養子になったあと、父・九世三宅藤九郎家の家系を守っている。
芸風は野村万蔵家と大きく変ることはない。
しかし、本狂言においては世話物的写実性が目立つ一方で、間狂言では式楽的な上品さが強調されるようである。

長男・三宅右矩(すけのり)、次男・三宅近成(ちかなり)は共に狂言師。

手話狂言

日本ろう者劇団では、ろう者による手話狂言を上演している。
三宅右近は、一から彼らを指導し、健常者に勝るとも劣らない狂言として手話狂言を誕生させた。

手話狂言は、日本ろう者劇団(社会福祉法人トット基金付帯劇団)において、「時間が短くて世界に通じる笑いを」というトット基金理事長・黒柳徹子の発案で企画されたもの。
能楽にも造詣の深い黒柳徹子は、右近が中学生の頃からの舞台を観ており、その後の和泉家の問題など右近の苦労をよく知っていた。
黒柳は、「人の辛さ、苦しさが分かる人。指導者として、素晴らしい人」と、右近に協力を依頼した。

手話狂言とは、舞台上で、劇団員がセリフを手話で表情豊かに演じ、その所作(動き)に合わせて狂言師が袖で発声を行う、聞こえる人も聞こえない人も共に楽しむことが出来る狂言である。

狂言の古い口語のニュアンスを表現するため古い形の手話を使い、手話と声とのタイミングや、間のとり方にも工夫が重ねられ、古典芸能の強靭さを持つ手話狂言が誕生した。

1983年、兵庫県芦屋市のルナホールで旗揚げ公演(演目「六地蔵」)。
全国7ヵ所の巡回公演を経て、イタリア・パレルモで開催された「世界ろう者会議・演劇祭典」で上演された。

その後も、全国各地、世界各国で上演され、2006年の横濱世界演劇祭でも上演されている。

1987年、文化庁芸術祭 (文化庁)賞受賞。
2002年、内閣総理大臣表彰を受けている。

[English Translation]