久我通明 (KOGA Michiaki)

久我通明(こが みちあき、安永9年1月16日 (旧暦)(1780年2月20日) - 安政2年12月2日 (旧暦)(1856年1月9日))は、江戸時代後期の公卿。
主に光格天皇(119代)・仁孝天皇(120代)の二帝にわたって仕え、官位は従一位内大臣に叙せられた。
父は中院通維。
母は不詳。
養父は内大臣久我信通。
室は熊本藩主細川治年の娘。
子に久我志通、養子に久我建通がいる。

天明5年(1785年)に久我家に養子入りし、また叙爵した。
以降清華家当主として速いスピードで累進し、侍従・左近衛権少将・左近衛権中将を経て、寛政6年(1794年)には従三位となり、公卿に列する。
その後も右近衛中将・踏歌節会外弁・権中納言を経て、文化 (元号)7年(1810年)に権大納言となる。
文政7年(1824年)に内大臣に就任。
さらに右近衛大将・右馬寮御監ともなったが、同年中に任職を辞した。
文政8年(1825年)に従一位を授与される。

[English Translation]