九条幸家 (KUJO Yukiie)

九条幸家(くじょう ゆきいえ、天正14年2月9日 (旧暦)(1586年4月7日) - 寛文5年8月21日 (旧暦)(1665年9月29日))は、江戸時代初期の公家。
藤原氏摂関家九条家の当主。
関白・左大臣に昇った。
はじめは忠栄(ただひで)を名乗る。
また一字名として「匀」とも。

天正14年(1586年)、九条兼孝の子として生まれる。
母は権大納言高倉永家の娘熙子。
天正18年(1590年)元服とともに正五位下左近衛少将に叙任された。
以後も昇進を続ける。

正室には豊臣秀勝の娘(母は崇源院)・豊臣完子(さだこ)を娶り、武家とも良好な関係を持つ(嫡子九条道房を産む)。
特に妻の母お江が徳川秀忠の正室として再嫁し(崇源院)た。
よって、征夷大将軍家御台所の婿となり、朝廷と江戸幕府の仲介役としても貴重な存在となる。
徳川幕府の後援もあり、慶長13年(1608年)には氏長者となり関白職に任ぜられた。
同18年にいったん辞職するも、元和 (日本)5年(1619年)再び関白となる。
寛永8年(1631年)に名を「幸家」と改めた。
寛文5年(1665年)没。
享年80。
法名、惟忖院。

子は九条道房のほか、二条康道、松殿家を再興させた松殿道基(道昭)、栄厳、本願寺光円室、本願寺光従室らがいる。

官位官職経歴

1590年(天正18年) 正五位下左近衛少将

1591年(天正19年) 従四位下左近衛中将

1593年(文禄2年) 従四位上

1599年(慶長4年) 従三位権中納言

1601年(慶長6年) 正三位

1602年(慶長7年) 従二位

1604年(慶長9年) 正二位権大納言

1606年(慶長11年) 左近衛大将

1607年(慶長12年) 右大臣

1608年(慶長13年) 左大将を辞す、氏長者・関白

1612年(慶長17年) 左大臣

1613年(慶長18年) 関白を辞す

1614年(慶長19年) 従一位

1619年(元和 (日本)5年) 関白再任

1623年(元和9年) 関白を辞す

[English Translation]