九条良通 (KUJO Yoshimichi)

九条 良通(くじょう よしみち、仁安 (日本)2年11月6日 (旧暦)(1167年12月19日) - 文治4年2月20日 (旧暦)(1188年3月19日))は平安時代末期の公卿。
摂政九条兼実の長男。
母は藤原季行の娘。
同母弟に九条良経がある。
妻は花山院兼雅の娘。
正二位、内大臣。
冷泉内大臣と号す。

兼実の嫡男として周囲の期待を受けて育ち、また叔母の藤原聖子の猶子となる。
文治2年(1186年)20歳にして内大臣に昇るが、これを極位として、二年後の文治4年(1188年)、弱冠22歳にして病を得て急死した。
このため、九条家の嫡流は弟の良経に受け継がれることとなった。

若年でありながら和漢の文学に通じた才人として知られ、『千載集』などに入選がある。
『古今著聞集』には、逝去して間もない良通が良経の夢枕に現れ、自らの無念の思いを込めた漢詩を吟じる説話が収録されている。

なお、良通が聖子から継承した最勝金剛院領などの皇嘉門院領は、後の九条家の家領の源流となった。

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