今出川実種 (IMADEGAWA Sanetane)

今出川 実種(いまでがわ さねたね、宝暦4年6月4日 (旧暦)(1754年7月23日) - 享和元年6月22日 (旧暦)(1801年8月1日))は、江戸時代中期から後期の公卿。
桃園天皇(116代)から光格天皇(119代)にいたる四帝にわたり仕え、官位は従一位内大臣まで昇った。
父は内大臣西園寺公晃。
母は不詳。
室は水戸藩主徳川宗翰の娘。
子息に大納言今出川尚季、娘に徳大寺公迪室がいる。
後一林院と号した。

宝暦10年(1760年)に今出川公言の養子となり、同年に叙爵。
以降累進して侍従・左近衛権少将・右近衛中将を経て、明和3年(1766年)に従三位となり、公卿に列する。
その後踏歌節会外弁や中納言を経て、安永4年(1775年)に従二位権大納言、また大歌所別当となる。
翌年に別当を辞す。
安永8年(1779年)には内教坊別当となる。
寛政10年(1798年)には内大臣と右近衛大将に任じられた。
翌年に職を辞した。
寛政12年(1800年)に従一位を授与された。

[English Translation]