伊地知貞馨 (IJICHI Sadaka)

伊地知 貞馨(いぢち さだか、文政9年(1826年) - 明治20年(1887年))は明治時代の官僚。
薩摩藩出身。
別名:堀又十郎、堀仲左衛門、堀次郎、堀小太郎、伊地知壮之丞。

薩摩藩の少壮藩士による精忠組の旗揚げに加わる。
藩主の父として実権を握る島津久光は過激に陥りがちな誠忠組の取り込みを図り、側近として抜擢。
堀も御小納戸に任命された。
当初は大久保利通と並ぶ久光側近として、京都・江戸などで他藩との交渉などに活躍した。
文久元年(1861年)12月、江戸幕府改革を目指した久光の出兵計画(後に文久の改革に繋がる)の準備のための時間稼ぎを行う必要があり、藩主島津忠義の参勤交代を遅らせるための奇策として、国元からの指示で江戸藩邸を自焼させた。
この「火災被害」により、忠義は江戸出府の遅延を差し許されたが、翌文久2年8月3日幕府によって薩摩藩の自作自演であることが発覚。
主犯格とされた堀は10日、藩の船天祐丸により江戸から鹿児島に檻送され、以後は薩摩藩の政治活動の一線からは退いた。
後に伊地知姓に改め、貨幣局出仕、琉球在番、後修史の編纂に携わる。

明治維新後は内務省 (日本)に出仕するが、長年の盟友・内務大臣大久保利通に、琉球から賄賂を受取った事を咎められ免職となる。

まとめた主な史書に『沖縄志略』『沖縄志(琉球志)』がある。

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