伊達宗高 (DATE Munetaka)

伊達 宗高(だて むねたか、慶長12年(1607年) - 寛永3年8月17日 (旧暦)(1626年10月7日))は江戸時代の武将。
村田伊達氏当主。
伊達政宗の七男。
母は柴田宗義の娘・阿山方。
官位は諸大夫、従五位下、右衛門大尉。
幼名は長松丸。

7歳で村田要害館主となり柴田・刈田3万石を領した。
元和 (日本)9年(1623年)に噴火した蔵王連峰を鎮めようと天に命願して人々を救ったとされ、村田(現:宮城県柴田郡村田町)では伝説の名君として名を残している。
官位を受領後、天然痘にかかり京都二条要法寺にて客死。
その時、10名の家臣が殉死した。
宗高の死後、後嗣がなく村田伊達家は断絶となった。

墓所は村田町の龍島院。
村田町では現在でも命日に「宗高公まつり花火大会」が開催されている。

[English Translation]