余延年 (YO Ennen)

余延年(よ えんねん、 延享3年(1746年) – 文政2年4月19日 (旧暦)(1819年5月12日))は、江戸時代中期から後期の日本の篆刻家である。

本姓は山口氏。
韓国の余璋王の後裔であることから修して余と称している。
字を千秋または君寿、号 (称号)は墨山・魯台・風塵道人等がある。
通称九郎右衛門。
尾張国知多郡の人。

略伝
尾張知多郡大高に住んだ。
壮年になって篆刻に懲り、
京都に遊学して高芙蓉に入門し技を習得した。
左大臣二条斉信に印を納め、成修処士の号を賜った。
また増山雪斎に画法を学び、元明の文人画に私淑。
蘭竹図を得意とした。

印譜に『印鐫』があり、『宣和集古印史』を模刻した。
また随筆に『風塵随筆』がある。
享年74。
春光院に墓所がある。

[English Translation]