佚山 (Itsuzan)

佚山(いつざん、男性、元禄15年(1702年) – 安永7年2月24日 (旧暦)(1778年))は、江戸時代中期の書家・篆刻家である。
今体派の篆刻の一派である日本の篆刻史に数えられる。
印籍を多く刊行した。

はじめ森本脩来あるいは森修来と称したが出家後は佚山と名乗った。
字は黙隠、常足道人と号 (称号)した。
浪華の人。

略伝

書は牧夏嶽に学び、ひたすら篆書をしたという。
得度後に天王寺東門の見友寺に住し京都誓願寺中西林庵に移った。

新興蒙所の門下で最も名を成した。
その篆刻は装飾的であった。
趙宦光の『説文長箋』によって篆書の研究を行っている。
大学頭林信充を縁故に自著『古篆論語』・『金剪府』を幕府に献上した。
墨竹図に巧みで文人文房趣味を持っていた。

享年77。
京都下立売通の法輪寺 (京都市上京区)に葬られる。

著書
『篆書千字文』
『補闕篆体異同歌』
『千文異同攷』
『古篆論語』
『金剪府』(印譜)
『修来印譜』
『伝家宝狐白』

[English Translation]