北条宗宣 (HOJO Munenobu)

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ、正元 (日本)元年(1259年) - 正和元年6月12日 (旧暦)(1312年7月16日))は、鎌倉時代後期の北条氏の一門。
鎌倉幕府11代執権(在職 1311年 - 1312年)。
北条宣時(大仏宣時)の子。
大仏 宗宣(おさらぎ むねのぶ)とも称される。
子に北条維貞ら。
北条氏 (大仏流)の総領として、弟や子らと共に、幕府の要職を歴任した。

1286年に引付衆、1297年から六波羅探題南方に就任し、1302年まで在京。
1305年に連署となる。

1311年執権に就任したが、内管領長崎高綱に実権を握られ、政治をみることができなかった。
翌年執権職を北条煕時に譲り、出家した。

経歴

※日付=旧暦
年月日不詳、式部少丞に任官。

年月日不詳、上野介に転任。

1286年(弘安9)、幕府の引付衆と就る。

1296年(永仁4)、引付頭人と就る。

1297年(永仁5)7月10日、六波羅探題南方と就る。

1300年(正安2)、評定衆も兼務。

1301年(正安3)、9月27日、陸奥守に転任。

1302年(乾元 (日本)元)1月17日、六波羅探題退任。

1305年(嘉元3)7月22日、評定衆から連署に異動。

1311年(応長元)10月3日、執権と就る。

1312年(正和元)5月29日、執権退任。
6月12日、卒去。
法名:順昭。

※位階は従四位下まで昇叙しているが、その叙位昇進過程は不詳。

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