北条時氏 (HOJO Tokiuji)

北条 時氏(ほうじょう ときうじ)は、鎌倉時代前期の北条氏の一門。
鎌倉幕府3代執権・北条泰時の長男で世子だったが早世した。

建仁3年(1203年)、北条泰時(後の第3代執権)の長男として生まれる。

承久3年(1221年)の承久の乱では、父・泰時とともに従軍する。
貞応3年(1224年)、父が第3代執権として鎌倉に戻ったため、六波羅探題北方に任じられて京都に赴任する。

嘉禄3年(1227年)4月に修理亮に任官し、大治 (日本)3年(1228年)には若狭国の守護となり、第4代執権となることを期待されていたが、寛喜2年(1230年)3月に病のため鎌倉へ戻り、6月18日に父に先立って死去。
享年28。

第4代執権には時氏の長男・北条経時が就任した。

経歴

※日付=旧暦
元仁元年(1224年)6月29日、幕府の六波羅探題北方に赴任。

安貞元年(1227年)4月20日、従五位下に叙し、修理権亮に任官。

[English Translation]