吉川惟足 (YOSHIKAWA Koretari)

吉川 惟足(よしかわ これたり、元和 (日本)2年(1616年) - 元禄7年11月16日 (旧暦)(1695年1月1日))は、江戸時代前期の神道家。
初名は元成と称し、惟足・従時と称した。
尼崎屋五郎左衛門と称し、号は視吾堂・相山隠山・相隠士。
吉川神道の創始者。
姓は「きっかわ」、名は「これたる」とも読む。

生まれは武家の家であった。
江戸日本橋 (東京都中央区)の魚商に養子に入り家業を継いだ。
商いがうまくいかなかったことから鎌倉へ隠居した。
1653年(承応2年)京都へ出て萩原兼従の門に入る。
吉田神道の口伝を伝授され、新しい流派を開いた。
その後江戸に戻る。
征夷大将軍徳川家綱を始め、紀州徳川家・加賀国前田家・会津松平家などの諸大名の信任を得る。
1682年(天和 (日本)2年)江戸幕府神道方に任じられる。
以後吉川家の子孫が神道方を世襲した。

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