夕霧太夫 (Yugiri Tayu)

夕霧太夫(ゆうぎりたゆう)は京都・嶋原、大阪・新町遊廓にいた太夫で「夕霧」の名を持つのは2人だけである。

夕霧太夫(初代)
生年不詳 - 延宝6年1月7日 (旧暦)(1678年2月27日)。
本名は照。
出身地は一説によると、現在の京都市右京区嵯峨の近くであるといわれる。
いつ、どういう風に嶋原に入ったか不明であるが「扇屋」の太夫となり、のちに大坂(大阪)の新町 (大阪市)に移住し、新町遊郭の太夫となる。
ここから大坂の太夫は生まれるのである。
姿が美しく、また芸事に秀でた名妓であった。
若くして病没すると、大坂中がその死を悼んだという。
享年は22とも27とも伝えられる。

亡くなった日は「季語一覧」として俳句の季語にもある。
墓は大阪の浄国寺、京都の清涼寺が有名だが他に徳島や和歌山にもある。

死後、夕霧とその愛人・藤屋伊左衛門とを主人公とする浄瑠璃・歌舞伎などの作品が多く作られ、それらは「夕霧伊左衛門」または単に「夕霧」と総称された。
近松門左衛門の浄瑠璃『夕霧阿波鳴渡』を始めとして、浄瑠璃の『廓文章』、歌舞伎の『夕霧名残の正月』『夕霧七年忌』などがある。

毎年11月第2日曜日に清涼寺にて「夕霧供養祭」が催される。
夕霧供養祭では、本堂での法要、嶋原太夫による奉納舞、太夫道中や墓参が行われる。

夕霧太夫(2代)
女優・中村芳子。
大正9年(1920年)生まれ。
中村鴈治郎 (初代)の末娘。
四代目中村富十郎の再婚相手となり初代中村亀鶴を生む。
父の生家であった大阪新町(大阪市)の妓楼・扇屋が夕霧太夫ゆかりの店であった縁で昭和55年(1980年)11月に二代目・夕霧太夫を襲名。
嶋原の太夫として活躍の後、昭和62年(1987年)12月逝去。
昭和63年(1988年)11月に初代夕霧太夫ゆかりの寺清凉寺に歌碑が建てられる。

あでやかに 太夫となりて 我死なん 六十路過ぎにし 霧はかなくも

[English Translation]