大内教幸 (OUCHI Noriyuki)

大内 教幸(おおうち のりゆき、永享2年(1430年) - 文明 (日本)3年12月26日 (旧暦)(1472年2月5日))は大内氏の一族。
大内持盛の子。
大内盛見の子とも。
別名、道頓。

生涯

大内教幸は応仁の乱真っ只中の1470年2月、家督を奪うべく東軍側であった大友親繁や細川勝元と通じて、内藤武盛・仁保盛安、吉見信頼や周布和兼を味方に付け、京都に出陣中であった大内政弘に対し周防国で謀叛を起こした。
備後国などを急襲したが、教幸の誘いに乗らなかった周防国留守居役であった若年の陶弘護に敗北を喫し、翌年逃亡先の豊前国馬ヶ岳城で自害した。

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