大友親世 (OTOMO Chikayo)

大友 親世(おおとも ちかよ、生年不詳 - 1418年4月1日(応永25年2月25日 (旧暦)))は南北朝時代 (日本)から室町時代前期にかけての守護大名。
大友氏の第10代当主。
第8代当主・大友氏時の子。
妻は大内義弘の娘。
子に第12代当主大友持直、第14代当主大友親隆。

1368年、父の氏時が死去した後、その後を継いだ大友氏継が南朝 (日本)方に味方したので、その後を受けて同年のうちに当主となった。
その後、足利義満の命を受けて九州探題として赴任してきた今川貞世(了俊)の九州平定に協力して南朝勢力の排除に努めたが、次第に了俊の勢力が拡大してきたことを恐れ、将軍の義満や義父の義弘と共謀して了俊の失脚に一役を買った。
その後も幕府に仕えて功績を挙げ、豊後の守護職の他に検非違使や惣追捕使などにも叙任されている。
晩年には祖高と号した。

1418年に死去し、後を甥の大友親著が継いだ。

[English Translation]