宇田川榕菴 (UDAGAWA Yoan)

宇田川 榕菴(うだがわ ようあん、1798年3月9日(寛政10年1月22日 (旧暦)) - 1846年6月22日(弘化3年5月29日 (旧暦)))は江戸時代後期の日本の蘭学者。
名は榕、緑舫とも号した。
宇田川榕庵とも表記される。

概説
大垣藩医江沢養樹の長男として生まれ、1811年に津山藩医宇田川玄真の養子となった。
1817年に津山藩医となった後、1826年には幕府の天文方蕃書和解御用の翻訳員となってショメール百科事典の翻訳書『厚生新編』(こうせいしんぺん)の作成に従事するため江戸に移った。

養父である宇田川玄真、またその養父である宇田川玄随、養子である宇田川興斎も蘭学者、洋学者として知られている。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトとも親交があった。

養父との共著で1822年から1825年にかけて『遠西医方名物考』(えんせいいほうめいぶつこう)、1828年から1830年にかけて『新訂増補和蘭薬鏡』(しんていぞうほおらんだやくきょう)、1834年ごろに『遠西医方名物考補遺』といった薬学書を出版している。

1822年(文政5年)『菩多尼訶経』(ぼたにかきょう)、1835年(天保6年)に『理学入門 植学啓原』(りがくにゅうもん そくがくけいげん)を出版して西洋の植物学を日本にはじめて紹介した。
菩多尼訶は植物学を意味するラテン語Botanica の翻字であり、経はその本文を経文になぞらえて執筆したことによる。

また、1837年(天保8年)から死後の1847年(弘化4年)にかけて日本ではじめての近代化学を紹介する書となる『舎密開宗』(せいみかいそう)を出版した。
舎密は化学を意味するオランダ語Chemie の字訳である。

舎密開宗の原著はイギリスの化学者ウィリアム・ヘンリー (化学者)が1799年に出版した『Elements of Experimental Chemistry』をJ・B・トロムスドルフ(deJohann Bartholomäus Trommsdorff)がドイツ語に翻訳、増補した 『Chemie für Dilettanten』 を、さらにオランダの Adolf Ijpeij がオランダ語に翻訳、増補した『Leidraad der Chemie voor Beginnennde Liefhebbers, 1803』 (『依氏舎密』)である。

しかし、単なる翻訳ではなく Adolf Ijpeij による 『Sijstematisch handboek der beschouwende en werkdaadig Scheikunde』 (『依氏広義』)、スモーレンブルグ(F. van Catz. Smallenburg)の『Leerboek der Scheikunde』 (『蘇氏舎密』)などの他の多くのオランダ語の化学書から新しい知見の増補や、宇田川榕菴自身が実際に実験した結果からの考察などが追記されている。

宇田川榕菴はこれらの出版に際し、日本語のまだ存在しなかった学術用語に新しい造語を作って翻訳した。
酸素、水素、窒素、炭素といった元素名や元素、酸化、還元、溶解、分析といった化学用語、細胞、生物の分類といった生物学用語は宇田川榕菴の造語である。

また、自然科学分野に留まらず、オランダ語の度量衡に使用する単位についての解説『西洋度量考』やオランダの歴史、地理を解説した『和蘭志略稿』、コーヒーについての紹介『哥非乙説』(こひいせつ)なども記している。

[English Translation]