安富才助 (YASUTOMI Saisuke)

安富 才助(やすとみ さいすけ、天保10年(1839年) - 明治6年(1873年)5月28日)は、備中国足守藩出身の新選組隊士。
大坪流の遣い手で新選組の馬術師範も務めた。
後、副長。
陸軍奉行添役。
諱は正儀。

足守藩士で勘定方に勤めていた安富正之進の子として生まれる。

元治元年(1864年)10月頃に新選組に入隊。
会計方後馬術師範となる。
土方歳三の信頼は高かったもよう。

甲州勝沼の戦い以後は土方と別行動を取ったが会津で合流。
蝦夷地へ渡り、陸軍奉行並に就任した土方歳三の直属の部下となった。
箱館戦争で土方が戦死し、それを看取った安富は、土方家宛の手紙を書いて立川主税に託した。
旧幕府軍は新政府軍に降伏。

明治3年(1870年)に放免され、元御陵衛士の阿部十郎に殺されたと伝わっているが、定かではない。
但し、近年故郷である足守(岡山市北区 (岡山市)足守)の田上寺で才助のものとみられる墓が発見されており、それには明治6年(1873年)5月28日没と記されている。

なお、安富が立川に託した手紙は土方家に現存し、その手紙の中で、安富は土方への追悼句を書き残している。

早き瀬に 力足らぬか 下り鮎
(ただし、これを土方歳三自身の辞世の句とする説もある)

[English Translation]