小堀正之 (KOBORI Masayuki)

小堀 正之(こぼり まさゆき、元和 (日本)6年(1620年)2月15日 (旧暦) - 延宝2年8月24日 (旧暦)(1674年9月23日))は、近江小室藩小堀氏の第2代藩主。
父は初代藩主で芸術家として有名な小堀政一(小堀遠州)で正之は次男。
母は藤堂高虎の養女。
正室は建部政長の娘、継室は森川氏之の娘。
官位は従五位下、備中守。
幼名を雅楽。
後に大膳と改めた。
またの名を政俊という。
号は宗慶。

略歴

元和6年(1620年)、伏見で生まれる。
幼少の頃から父政一から茶道の手ほどきを受ける。
松花堂昭乗に師事し能書家としても知られていた。
寛永5年には齢9つにして宮中に召されて後水尾天皇の御前で揮毫したと伝えられている。
正保4年(1647年)、父の死去により後を継いだ。
父政一の茶人としての業績をまとめ、遠州流茶道の基礎を築いた。
延宝2年(1674年)8月24日、持病の腫物の悪化により死去し、跡を子の小堀政恒が継いだ。
法号:興雲院。
墓所:東京都練馬区桜台の広徳寺。

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