小川祐滋 (OGAWA Sukeshige)

小川祐滋(おがわ すけしげ 生没年不詳)は、安土桃山時代の武将。
小川祐忠の子。
別名、忠有。
官途、左馬助。
号は兼々庵。

豊臣秀吉の馬廻となり、1598年慶長の役では蔚山広域市に在陣。
関ヶ原の戦いでは、父とともに西軍から東軍に寝返り、戦功を挙げたが改易された。
石田三成と入魂であったためといわれている。
茶道は、千道安に師事、兼々庵と号した。

改易後、京に出て萬屋平右衛門として両替商となり成功を収め、寛文年間以降は陣屋を預けられるほどの豪商となった。
のちに子孫は、町人であるが小川姓の苗字を名乗ることを許され、西国大名の御用達として活躍する。
ただし、別の子で千橘とする説もある。
(他説に萬屋は大和国吉野郡小川郷の豪族の小川氏の出自との伝えもある)または、同じ祐忠の子の右馬允、小川光氏と同一人物とする説もある。

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