小笠原長清 (OGASAWARA Nagakiyo)

小笠原 長清(おがさわら ながきよ)は、平安時代末期から鎌倉時代前期の甲斐国の武将。
甲斐源氏の一族である加賀美遠光の次男。

高倉天皇に滝口武者として仕えた父・加賀美遠光の所領のうち、甲斐国巨摩郡小笠原郷を相続して、元服の折に高倉天皇より小笠原の姓を賜ったとされる。
弓馬術礼法小笠原流の祖であり、信濃国守護家小笠原氏の祖。

源頼朝挙兵時は、兄・秋山光朝とともに京都で平知盛の被官であったとされ、母の病気を理由に帰国を願い出て許され、源頼朝の下に参じたと伝えられる。
治承・寿永の乱において戦功を重ね、父と同じ信濃守に任じられる。
また武田信光・海野幸氏・望月重隆と並んで「弓馬四天王」と称されて、26歳のときに源頼朝の糾法(弓馬術礼法)師範となるなど、鎌倉幕府の御家人としての小笠原氏の基礎を築いた。

頼朝の没後、子の弥太郎長経が二代将軍源頼家の近習であった事から、比企能員の変に連座して処罰されたため一時小笠原氏は没落するが、承久の乱で東山道の大将軍の一人として「七ケ国管領」となり功績を挙げ、承久3年(1221年)に阿波国守護となる。

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