尚泰王 (King SHO Tai)

尚泰王(しょうたいおう、1843年8月3日(道光23年7月8日) - 1901年8月19日)は、琉球王国第二尚氏王統第19代国王。
最後の国王である。
在位1848年~1879年。
父は、第18代国王尚育王。

道光28年5月8日(1848年6月8日)にわずか4歳(数え年では6歳)にして即位。
咸豊4年(1854年)にはマシュー・ペリーが琉球に来航し琉米修好条約を締結。

1855年、琉仏修好条約を結び、1859年には琉蘭修好条約を結ぶ。

他府県の廃藩置県も済んだ翌年、元来琉球は日本と清(中国)に使を送り独自性を保っていたが、同治11年(1872年)に日本は強引に尚泰を琉球藩藩王に冊封し、東京に藩邸を与えられた。
然うして光緒5年(1879年)の所謂琉球処分の断行で琉球藩に沖縄県が設置されると、王号を剥奪され居城の首里城も追われ、琉球王国は消滅した。
尚泰たちは琉球王家の屋敷の一つ中城御殿に移ったが、明治政府の命により東京に移住させられる。
尚泰の次男尚寅、四男尚順は後に沖縄に帰ってきている。

のち華族令の発令に伴って侯爵となった。
1901年に59歳で没。
墓所は沖縄県那覇市の琉球王家の陵墓・玉陵(たまうどぅん)。
現在も尚家の子孫は沖縄、首里に健在である。

「命どぅ宝」は尚泰王の言葉と言われることもあるが、本来は演劇中のセリフである。

冊封使(1866年)
正使:趙新(右春坊右贊善)
副使:于光甲(内閣中書舍人)

家族

父:尚育王
母:元貞(尚育王妃・佐敷按司加那志)
妃:章氏思真鶴金・佐敷按司加那志(号は賢室)
夫人
真鶴金・松川按司(父は毛其昌・美里親方安綱)
真鶴金・平良按司(父は高宮城親方朝功)

山本テウ
片山テイ
松本コウ
田中コウ
神田ナツ
田中ハナ
子女
長男:尚典、中城王子朝弘
次男:尚寅、宜野湾王子朝広
三男:尚興(享年2、母は松川)
四男:尚順、松山王子
五男:尚秀(玉城尚秀、玉城御殿へ養子)

六男:尚光
七男:尚時

長女:真鶴金・津嘉山翁主
次女:真鍋樽・安室翁主
三女:牧志翁主
四女:嘉手苅翁主
五女:政子(漢那憲和に嫁ぐ)
六女:八重子(東逸泉に嫁ぐ)
七女:千代子
八女:君子
九女:小夜子
十女:鈴子
十一女:貞子

[English Translation]