山路之徽 (YAMAJI Yukiyoshi)

山路 之徽(やまじ ゆきよし、享保14年(1729年)-安永7年1月30日 (旧暦)(1778年2月26日))は、江戸時代中期の儒学者・蘭学者・和算家・天文学者・地理学者。
江戸幕府天文方山路主住の嫡男。
通称・久次郎。
別名・主徽・主長。
妻は大橋重幸の娘。

江戸に生まれ、数学を父及び久留島義太から学ぶ。
宝暦10年(1760年)に部屋住みのまま暦作測量御用に任じられて、戸板保佑・船山輔之とともに父を補佐した。
明和3年7月18日(1766年8月23日)に御目見得になる。
安永2年3月7日(1773年3月29日)に父の後を継いで小普請に配属されたが、安永6年5月3日(1777年6月8日)に評定所勤役儒者となった。
翌年病死する。
子供に先立たれたため、同門の仙台藩小倉雅久の子山路徳風を養子にした。

世界地理の研究のために、青木昆陽や前野良沢にオランダ語を学んだ。
著書に『蘭学緒言』(年次不明)・『萬国地理図説』(安永4年(1775年))などがある。

墓は東京都台東区大泉寺 (台東区)にある。

[English Translation]