岩倉具起 (IWAKURA Tomooki)

岩倉 具起(いわくら ともおき、慶長6年6月14日 (旧暦)(1601年7月13日) - 万治3年2月6日 (旧暦)(1660年3月17日))は、江戸時代前期の公卿。
村上源氏久我家の分家岩倉家の第2代当主。
後水尾天皇(108代)から後西天皇(111代)の4代にわたり朝廷に仕え、従二位中納言まで昇った。

父は岩倉具堯(正五位木工寮)。
母は近衛府園基継の娘。
弟に千種有能(千種家を再興、正二位大納言)。
子に岩倉具詮がいる。
明治維新の功臣岩倉具視は子孫にあたる。

元和 (日本)5年(1619年)に叙爵。
元和6年(1620年)、後水尾天皇の侍従となり、元和8年(1622年)に近衛府。
その後、官位のみ累進していき、寛永19年(1642年)に従三位に達して公卿に列した。
正保元年(1644年)に参議に任じられたが、翌年には辞す。
同年踏歌節会外弁をつとめた。
承応元年(1652年)従二位権中納言となったが、明暦2年(1656年)に辞職。

[English Translation]