巨勢麻呂 (KOSE no Maro)

巨勢 麻呂(こせ の まろ、?- 養老元年1月18日 (旧暦)(717年2月7日))は、奈良時代の貴族。
本姓は巨勢朝臣(こせのあそみ)。
本拠地は大和国高市郡巨勢郷。
従三位中納言。
祖父は小治田大海、父は飛鳥朝京職直第三の小治田志丹。
従兄弟に参議大納言従二位の巨勢奈弖麻呂がいる。

文武天皇の御世に従四位下民部卿(慶雲2年4月22日 (旧暦))、に任じられ、元明天皇の御世となり左大弁に任じられる(和銅元年3月13日 (旧暦))。
その後同年7月15日 (旧暦)(708年9月7日)に正四位下に叙され、和銅2年(709年)には鎮東将軍に任じられて蝦夷征討にあたっている。
和銅3年に正四位上を授かる。
和銅6年1月23日 (旧暦)(713年2月26日)に従三位に昇進し、年号変わって霊亀元年5月22日 (旧暦)(715年7月1日)に中納言に任じられた。

養老元年1月18日 (旧暦)(717年2月7日)に薨去する。

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