星川麻呂 (HOSHIKAWA no Maro)

星川 麻呂(ほしかわ の まろ、生年不明 - 天武天皇9年5月27日 (旧暦)(680年))は、日本の飛鳥時代の人物である。
旧仮名遣いでの読みは「ほしかはのまろ」。
姓(カバネ)は臣。
672年の壬申の乱で大海人皇子(天武天皇)側についた。
贈大紫。

星川氏は星川の地に名をとった氏族で、その地は大和国山辺郡星川と推測される。
星川麻呂については、『日本書紀』の天武天皇9年5月27日に、小錦中星川臣麻呂が死に、壬申の年の功によって大紫の位を贈られたことが見える。
大紫は壬申の功臣の中でも高い位だが、書紀の壬申の乱のくだりに星川麻呂の名は見えないので、どのような活躍をしたかは不明である。

霊亀2年(716年)4月8日に、子の星川黒麻呂が父の功によって田を与えられた。
天平宝字元年(757年)12月9日に、太政官は星川麻呂の功田4町の扱いを定めるために彼の功績を論じて中功とし、2世に伝えると定めた。

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