有馬持家 (ARIMA Mochiie)

有馬 持家(ありま もちいえ、応永3年(1396年)? - 宝徳2年(1450年)?)は、室町時代中期の武将。
名ははじめ教実。
通称は兵部少輔。
姓は赤松とも。
父は赤松則祐の子有馬義祐。
摂津有馬氏は摂津国有馬郡を領して征夷大将軍の近習を務め、本家の赤松氏とは別に室町幕府に直勤していた。

永享初年ごろ、将軍足利義教の御伴衆となる。
嘉吉の乱の直後も、本家である赤松満祐方には与せず、山名持豊率いる幕府側の赤松追討軍に加わったとみられる。
しかしその後、従兄弟の赤松満政が播磨国守護を兼ねた山名氏に対して挙兵するとこれに応ずる。
だが敗北し、その後持家は隠居したという。
将軍足利義政に近侍し、その寵臣となる。
義政の乳母・今参局(御今)および義政の母の従弟・烏丸資任とともに義政側近の有力者として知られ、「三魔」と並び称された(おいま、からすま、ありまと、「ま」がつく三人)。
相国寺の瑞渓周鳳の日記『臥雲日件録』康正元年1月6日(1455年2月1日)条には「政は三魔より出づ」と記されている。
ただし、他の2人と異なり、持家に関しては、特に専横の振る舞いは記録されておらず、義政側近中の「ま」がつく人ということで数合わせとして挙げられたとも考えられる(一説に持家が死去したのは宝徳2年(1450年)といい、そうなると義政将軍期としては時期が合わない)。

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