松平宗武 (MATSUDAIRA Munetake)

松平 宗武(まつだいら むねたけ)は、丹後国宮津藩の第7代(最後の)藩主。
本庄松平家10代。

弘化3年(1846年)6月9日、第6代藩主・松平宗秀の五男として生まれる。
慶応2年(1866年)、第2次長州征伐で父・宗秀は幕府軍長州征討補佐を務めていた。
しかし、幕府軍の戦況不利を見て独断で長州藩の家老を釈放するなどしたことから、幕命により10月29日に強制隠居処分に処せられたため、家督を継いで第7代藩主となる。

慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、山城国八幡の警護を勤めるなど、はじめは新政府に恭順していたが、このときに新政府軍に発砲して敵対したため、朝敵とされた。
そして西園寺公望率いる山陰鎮撫使に降伏して許されている。

明治2年(1869年)6月19日、版籍奉還により宮津藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月15日の廃藩置県で藩知事を免職された。
明治6年(1873年)からは開拓使として北海道の農業開拓に従事した。
しかし、父が死去すると宮津に戻り、以後は宮司として働く一方で、俳句の世界をたしなんだといわれる。

明治26年(1893年)4月28日に死去。
享年48。

[English Translation]