松平松千代 (MATSUDAIRA Matsuchiyo)

松平 松千代(まつだいら まつちよ、文禄3年(1594年) - 慶長4年1月12日 (旧暦)(1599年2月7日)は安土桃山時代の大名。
深谷藩二代藩主。
徳川家康の七男。
母は側室・茶阿局で松平忠輝の同母弟。

文禄2年(1593年)に長沢松平家当主で深谷藩主でもある松平康直が嗣子なくして没したため、その翌年、生後間もなく長沢松平家を継ぎ、深谷藩主となった。
しかし、慶長4年(1599年)1月11日にわずか6歳で没。
法名は栄昌院殿。
後を同母兄の松平忠輝が継いだ。

なお、上記の生没年は『徳川幕府家譜』に拠ったものであるが、『幕府祚胤伝』では「文禄元年(1592年)誕生、文禄3年(1594年)2月8日 (旧暦)死去」とされている。

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