武田信武 (TAKEDA Nobutake)

武田 信武(たけだ のぶたけ)は、南北朝時代 (日本)の武将。
武田信政の子武田信時にはじまる信時流武田氏の生まれ。
甲斐国武田氏の第10代当主。
『甲斐国志』によれば、「生山系図」を引用し室を足利尊氏の姪とする。
室町幕府の引付衆にも任じられた。

略歴

父・信宗の後を受けて当主となる。
安芸国守護。
鎌倉幕府滅亡後のに発足した後醍醐天皇の建武政権から離反した足利尊氏の軍勢催促に応じ、建武2年に挙兵し、叛旗を翻した熊谷蓮覚の本拠矢野城(広島市)を攻略している。
翌年には上洛し、足利勢と合流し主に畿内を中心として宮方と戦った。
主に西国の軍事行動で活躍し安芸国内の沈静化にも務めている。

鎌倉時代後期には、安芸守護として本拠を移した信時流武田氏に代わって甲斐守護は北条得宗家と結びついた庶流石和流武田氏が継承した。
武田政義は建武政権に加わり甲斐守護を安堵されたが1343年に戦死している。
政義の死後には甲斐への介入を強めた。
貞和2年(1346年)に一蓮寺へ行った寄進をはじめ甲斐国との関係を示す史料が見られる。
将軍尊氏と実弟足利直義の対立から発生した観応の擾乱の最中には甲斐守護への補任を示す史料が見られ、直義追討のため甲斐へ入国したと考えられている。

尊氏の信頼が篤く、尊氏が天竜寺を造営しようとした際には信濃守護小笠原氏らと造営に協力している。
没年は甲府市の法泉寺 (甲府市)の位牌によれば延文4年(1359年)である。
一蓮寺過去帳や傑翁是英語録によれば康安2年(1362年)であるという。
翌年に死去し、跡を子の武田信成が継承し、安芸守護は次男の氏信が継承した。

和歌に優れた教養人でもあり、『新千載和歌集』には信武の作品が修められている。

[English Translation]