江木欣々 (EGI Kinkin)

江木欣々(えぎ きんきん、1877年(明治10年)1月30日 - 1930年(昭和5年)2月20日)は、明治期の法律学者江木衷(まこと・ちゅう)の妻。
本名は栄子。
号を欣々、または欣々栄と称した。
生年は明治12年(1879年)説がある。
異父弟にシャープ創業者の早川徳次 (シャープ)がいる。

九条武子、柳原白蓮と並んで大正三美人と称された。

愛媛県令だった関新平が女中の藤谷花子に手を付け栄子が生れた。
栄子は養女に出されたが、養家が困窮したため、神田明神下の講武所の花街で舞妓となった。

栄子は16歳で九州の細川氏の家老職、有吉男に落籍され正妻となった。
しかし夫は1年あまりで病没。
栄子は有吉家を出されて再び花柳界に戻った。
今度は新橋に移り、松屋から「ぼたん」という名でふたたび半玉として出ることになった。

栄子は新橋の美貌芸者として名をはせ、間もなく江木衷と結婚した。

自宅で関係者を集めてパーティを開き、そこが自ずから社交場となった。
栄子は詩、書、画、篆刻、謡曲と広い趣味と才人ぶりを見せて花形となった。

1925年(大正14年)に夫と死別。
1930年、大阪の早川徳次の家で首吊り自殺した。

美人画家の鏑木清方の傑作「築地明石町」のモデルとして知られる(実はモデルは栄子の異母妹のませ子ともいわれる)。

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