河越重員 (KAWAGOE Shigekazu)

河越 重員(かわごえ しげかず、生没年未詳)は、鎌倉時代の武蔵国入間郡河越館の武将。
三郎。
河越重頼の三男。
兄に河越重房・河越重時、姉妹に源義経の正室・郷御前。

経歴

文治元年(1185年)11月、父・河越重頼と兄・河越重房が源義経の謀反に連座し、源頼朝の命によって領地を没収され誅殺された。
頼朝は重頼の妻である後家尼(比企尼の娘)に旧領を安堵し、領内の名主百姓等に後家尼の下知に従うことを命じた。

元久2年(1205年)6月22日の畠山重忠の乱で、兄河越重時と共に北条義時率いる重忠討伐軍に加わる。
承久3年(1221年)6月、承久の乱では北条泰時に従い京都で活躍する。

嘉禄2年(1226年)4月10日、鎌倉幕府により重員が武蔵国留守所総検校職に補された。
ここに河越氏の武蔵での地位が復活した。
その後、留守所総検校職は重員の子河越重資に受け継がれた。

[English Translation]