泉沢久秀 (IZUMISAWA Hisahide)

泉沢 久秀(いずみさわ ひさひで、生年不詳 - 元和 (日本)元年(1615年)3月 (旧暦))は、戦国時代 (日本)の武将、上杉家臣。
通称・又五郎、河内守。
室は尾崎重元の娘。

上田衆として早くから上杉景勝に側近として仕える。
御館の乱後、景勝が上杉家の家督を継承した後も重用され、特に財政に重きを成した。
天正16年(1588年)、景勝とともに上洛し、しばらく在京する。
また公家の勧修寺晴豊と親交を持ったという。
天正20年(1592年)文禄・慶長の役のために肥前国名護屋城へ入った。
慶長3年(1598年)上杉家が会津へ移封されると、荒砥城 (山形県)代・会津若松市所司代に任じられ、知行は1万1000石を領した。
後年は直江兼続の属将であったという。
死後、嗣子がなかったため泉沢家は改易となった。

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