源定房 (MINAMOTO no Sadafusa)

源 定房(みなもと の さだふさ、大治 (日本)5年(1130年) - 文治4年7月17日 (旧暦)(1188年8月11日))は平安時代後期の公卿。

父は権中納言源雅兼。
母は大納言源能俊の女。
堀川大納言と号す。
従兄にあたる右大臣源雅定の猶子となる。
歌人・能書家としても聞こえた。
子に源定忠・源雅行・大炊御門経宗室・藤原定輔室・平親国室・藤原定経室らがいる。
一説には、赤松氏は定房の子孫の系統とされる。

侍従、右近少将、讃岐国権介、備中国権介、春宮坊権介、蔵人頭などを歴任し、保元2年(1157年)参議になり翌年従三位になった。
その後、美作国権守に任ぜられ、権大納言・従二位に進む。
また後白河天皇庁別当にもなる。
文治4年6月に病により出家し、翌月に薨去。
59歳だった。

[English Translation]