源家長 (MINAMOTO no Ienaga)

源家長(みなもと の いえなが、嘉応2年(1170年)? - 文暦元年(1234年))は、鎌倉時代前期の貴族・歌人。
醍醐源氏源高明流。
大膳職源時長の子。
従四位但馬国国司。
新三十六歌仙の一人。

経歴

蔵人・馬寮・兵庫寮、武蔵国介・備前国介・備後守・美作守など地方官を歴任し、但馬守に任ぜられる。
承久の乱により、官を辞す。
従四位上に叙せられた。

和歌に優れ、和歌所開闔となり『新古今和歌集』の編纂事務にあたるとともに、自ら歌人として活躍し、「院後度百首」()、「千五百番歌合」()、「元久詩歌合」()、「道助法親王五十首」(時期不明)、「洞院摂政百首」(頃)、「日吉社撰歌合」()など各種歌合に出詠した。
『新古今和歌集』以下の勅撰和歌集に36首が採録。
藤原定家や藤原家隆との親交があったとされる。
また、後鳥羽天皇の女房下野を妻として、妻子ともに勅撰歌人となっている。

日記に『源家長日記』がある。

[English Translation]