紀有常 (KI no Aritsune)

紀 有常(き の ありつね、815年(弘仁6年) - 877年2月13日(貞観 (日本)19年1月23日 (旧暦)))は、平安時代の貴族。
本姓は紀朝臣。
正四位下紀名虎の子。
妻は藤原内麻呂の娘。
娘に在原業平の妻、藤原敏行の妻がいる。

有常は左京の出身で、性格は清らかでつつましく、礼に明るいとの評判が高かったという。
少年にして仁明天皇に奉侍し、承和 (日本)年間に左兵衛大尉、右兵衛権将となり、また近江国の掾を兼務した。
仁寿年間には従五位下に昇進して左馬助、但馬国介を兼務し、間もなく右兵衛佐となり讃岐国介を兼務した。
その後従五位上に昇進し、讃岐介を兼ねて近衛府に任ぜられた。

天安 (日本)元年(857年)から左近衛少将から伊勢国権守に転任し、同年のうちに少納言に叙せられ侍従を兼務することとなった。
翌年、伊勢権守から肥後国権守に転任し、貞観9年(867年)には下野国権守となり、これを満了した後は信濃国権守を務めた。
同15年(873年)正五位下に昇進し、同17年(875年)には雅楽頭となった。
同18年(876年)には従四位下となり周防国権守となって63歳で没した。

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