純信 (Junshin)

純信(じゅんしん、文政2年10月10日 (旧暦)(1819年11月27日) - 明治21年(1888年))は日本の僧侶。

経歴
俗名を要という。
文政2年(1819年)10月10日、土佐国高岡郡戸波郷市野々村で佐川家家臣江渕要作の嫡男として生まれた(次男との説もある)。
五台山竹林寺脇坊の住職をしていた頃、鋳掛屋の娘で20歳年下の大野馬と禁断の恋をする。
安政2年(1855年)5月19日深夜、馬と駆落ちする。
笹口番所の裏道から阿波国に入り、讃岐国琴平の旅籠に泊まっていたところ、関所破りで捕まる。
同年9月、高知城下の晒し場で面晒しの刑を受け、国外追放になる。
伊予国の亀吉の庇護のもと寺子屋で教えていた。
亀吉の死後その地を離れ、晩年は美川村で慶翁徳念和尚を名乗って生活し、その地で死去。

備考
馬との話は浄瑠璃となり流行した。

土佐市市野々にある、純信堂には純信の歌碑が有る。

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