良弁 (Roben)

良弁(ろうべん、持統天皇3年(689年) - 宝亀4年11月24日 (旧暦)(774年1月10日))は、奈良時代の華厳宗の僧。
東大寺の開山。
通称を金鐘行者といった。

生涯
相模国の柒部氏出身と言われている。
伝説によれば、近江の国(滋賀)で野良作業の母が目を離した隙に鷲にさらわれた。
奈良の二月堂前の杉の木に引っかかっているのを義淵に助けられ、僧として育てられた。
後に全国を探し歩いた母と30年後、再会したとされている。
いずれにしても幼少より奈良に上って義淵について法相唯識を学んだのは事実である。

天平5年(733年)羂索院を建立し、盧舎那仏(るしゃなぶつ)の大像を造立、金鐘寺とした。
その後、天平12年(740年)金鐘寺に新羅僧、審祥を講師として招き、『華厳経』の講説を始めた。
聖武天皇から崇敬され、天平14年(742年)には金鐘寺が大和国分寺に指定された。
また、近江国南部に諸寺を建立し、紫香楽宮遷都にも関与したとも言われている。
天平18年(746年)、天皇が金鐘寺を改めて東大寺とする工事が起さすと、橘諸兄・行基らとともに尽力、初代別当となる。
後に東大寺盧舎那仏像建立の功績により、天平勝宝3年(751年) に少僧都となり、天平勝宝8歳(756年)には鑑真とともに大僧都に任じられる。
その後、天平宝字4年(760年)8月に仏教界の粛正のために、慈訓、法進とともに、僧階を改めるよう奏上する。

宝亀4年(773年)には、 僧正に任命され、その年の閏11月24日没。

[English Translation]