菅沼定昭 (SUGANUMA Sadaakira)

菅沼 定昭(すがぬま さだあきら)は、丹波亀山藩の第2代藩主。

寛永2年(1625年)、丹波亀山藩の初代藩主(当時は近江国膳所藩主)・菅沼定芳の第3子、長男として膳所で生まれる。
嫡出の姉2人とは違い、庶出であった。
寛永17年(1640年)、従五位下・左近将監に叙位・任官される。

寛永20年(1643年)、父の死去により家督を継いで亀山藩の第2代藩主となる。
このとき、異母弟・菅沼定実へ2000石、異母(菅沼定実の母とも異なる)弟・菅沼定賞へは1100石の知行地を分与し、4万1100石から3万8000石にまで直轄領が減った。
なお同母弟の定房は、叔父・定官(田中吉官)の婿養嗣子に貰われた。

正保4年(1647年)9月21日、丹波亀山にて死去。
享年23。
正室がまだ居なかった時期での不幸であったようだ。
側妾も確認されておらず、嗣子も無いために、菅沼氏は無嗣改易となった。

しかし、翌年閏正月、弟の菅沼定実に1万石が与えられに名跡相続を許された。
自身は7000石(交代寄合)を拝領し、弟菅沼定賞に3000石を分与。
子孫は両系統とも存続している。
なお、定昭より分与された知行地は収公された。

[English Translation]