藤原基頼 (FUJIWARA no Motoyori)

藤原 基頼(ふじわら の もとより、1040年(長久元年) - 1122年(保安 (元号)3年))は、平安時代後期の公卿、武人。
御堂関白藤原道長の曾孫にあたり、右大臣藤原俊家の子。
母は家女房の常陸国源為弘の娘。
官位は正五位・中務省。
陸奥国、越前国、能登国といった各国の国司や常陸介を歴任する。
持明院家の祖。

上流貴族の家に生まれたが、弓や馬、鷹、犬といった武芸を好み、武人としても活躍した。
康和5年(1103年)に陸奥国に任じられ、翌年の康和6年(1104年)には鎮守府将軍を兼ねた。
天永2年(1111年)頃には東北の蝦夷を討った。

現在の京都市上京区に邸宅を構え、邸内に持仏堂を営んでこれを持明院と名付けたため、彼の子孫は持明院家を称している。

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