藤原実宗 (FUJIWARA no Sanemune)

藤原 実宗(ふじわら の さねむね、久安元年(1145年) - 建保元年12月9日 (旧暦)(1214年1月21日))は、平安時代後期から鎌倉時代前期の公卿。
西園寺家の第三代に数えられる人物。
大納言藤原公通の長男。
近衛天皇(76代)から土御門天皇(83代)に至る動乱期の八朝に仕え、官位は正二位・内大臣まで昇る。
坊城、大宮、五条を号す。

経歴

久安4年(1148年)に叙爵。
以降、侍従・右近衛少将・備後介・伊予権介・讃岐介などを経て、嘉応2年(1170年)蔵人頭となる。
安元2年(1176年)参議となり公卿に列する。
備前権守・権中納言を経て、文治5年(1189年)に権大納言に就任した。
さらに建久2年(1191年)大納言となる。
建久9年(1198年)土御門天皇践祚の大嘗祭検校をつとめ、元久2年(1205年)には内大臣に任じられるも、翌建永元年(1206年)3月13日に辞職、11月27日に出家した。

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