藤原師家 (FUJIWARA no Moroie)

藤原 師家(ふじわら の もろいえ、万寿4年(1027年) - 康平元年9月3日 (旧暦)(1058年9月29日))は平安時代後期の官人。
藤原北家水無瀬流、大納言藤原経輔の子。
従四位・弁官。

五位蔵人・少納言を経て、永承3年(1048年)右少弁に任ぜられる。
左少弁を経て、天喜3年(1055年)摂津国国司を兼ねた。
康平元年(1058年)4月には右中弁、7月には従四位下となるが、同年9月3日に没した。
享年32。

説話

右少弁師家が以前通っていて仲が絶えてしまった女の家の前を通った所、女の家人に呼び止められたので、車を引き返して女の家に入った。
すると、その女の様子がことのほか素晴らしかったので、師家は女を捨ててしまったことを後悔して弁解したものの、女はひたすら読経するばかりで、返事もしない有様であった。
女は経典を唱える内に、法華経七巻の「即往安楽世界」というくだりを繰り返し誦んでいたところ、そのまま気を失ってしまう。
師家や家の者が女を介抱したが、すぐに女は亡くなってしまった。
師家は悲しんでしばらく山里に隠遁したところ、「世捨て人となった」と噂された。
しかしその後、また出仕するようになったので、「かえる弁」と呼ばれたという。

[English Translation]